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床の水たまり

 

 グレッグの母ペトローニャは、子供部屋で2つのちがった笑い声がするのを聞きつける。こんどこそつかまえるぞ!ドアを開けて中を覗くと、部屋には息子と、これまでに何度もとり逃がした、あの汚らしいコソコソとした男の子が見えた。そんな時に限って電話が鳴り出し、おまけに玄関の呼鈴まで鳴り出した。そのどちらもがご近所さんで、2人とも飼い猫の貧血にかんしての相談だった。ペトローニャが応対を終えて子供部屋に戻ると、あの男の子は消えていた。そして床には水たまりがあった。グレッグのパンツは濡れていないのに。

 なにか隠し事をしているらしいグレックに問いつめる母親。いくら質問しても「追い詰められると、嘘をつくしか逃げ道がないこともあるじゃん」と、息子にかわされてしまう。ただ、猫の貧血症の秘密が、近所に住む、いつもなわとびをしている女の子ストレーガ・オコナーにあることだけは分かった。

 大量に無くなるシリアル、子供部屋にある血のつまった瓶、ペトローニャの悩みは増えるばかり。「この子の父親がまだ生きていたらなぁ・・・・・・」そんな時、通りの向かい側では、オコナーがなわとび歌をうたっていた。

 

         「猫が袋にはいったよ、どん、どん、どん!

          さあ、材料とりにきて、血、血、血」

 

 ピンときた彼女は、息子に罠をしかけることにした。そして計画通りにあのコソコソとした子供を捕まえる。そして家から追い出そうと腕を引っ張ると、男の子はみるみる溶けて、そこには水たまりが残った。「あいつは、おどかしたり、荒っぽく扱ったりすると、溶けちゃうんだ。ママがあいつを溶かしたのは、今週になって3回目だよ」とグレック。それを聞いてペトローニャはある計画を考えつく。

 

   

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処女の季節

 

 いまだかつてないすばらしい春(ここ数十年で最も寒くはあるが)は、いまだかつてないほどに女たちが美しい季節であった。個人も会社も国家も記録破りの件数が破産していたし、エイリアンが着陸して人類の半分を廃れさせ、残りは召使いにすると声明を発したが、男たちは幸せだった。女たちがこれほどまでに美しければ、それ以外のことはどうでもよくなるのだ。                     

 

   エヴァの声を聞いたことがなければ、君は音楽の意味を知らずにいる。

 

 美しい女たちとふれあい崇拝することで、男たちの精神は高尚なレベルに達した。以前のように精力的に働くこともせず、彼らの事業がなくなり、もしそれがエイリアンの陰謀だとしてもどうだってよかった。

 

不思議なことに、美女たちみんなに娘がいた。夫や息子はいなかった。太陽は何ヶ月も顔を出していない。男たちはばたばたと凍死して死んでいった。とても幸福な気分で。

 

    

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ランゲルハンス島沖を漂流中

 

 ロレンス・タルボットはねっとりしたシーツの子宮からそろそろとはいだす。新聞の大見出しには、ボリビア大使、暗殺死体で発見の記事。部屋の水槽には、タンクにいた仲間を皆殺しにした怪魚がいる。餌を与えずに殺すということをのぞけば、あらゆる無茶な扱いを試みたが、魚は汚物のよどむ薄暗い水の中で肥えふとるばかりだった。彼は抑えがたいほど激しい憎しみをその魚に感じた。こいつはおれと同じだ、死ぬようなやつじゃない。あのボリビア大使は、先月おれがしでかした事件だろうか、そんな疑問がうかんだ。

 彼はコンサルタント会社との打ち合わせに出かける。そこで実業家のディミーターと知り合い、考えを集中できる別室で、自分の目的を書くようにいわれる。長い時間ののち、彼は短い語句を書きとめた。

 

 わたしの魂の所在位置の地理座標

 

 ディミーターとの2ヶ月の打ち合わせのすえ計画が固まり、タルボットは旧知の物理学者でCEERMの研究員ヴィクトルに協力を請う。それからさらに2ヶ月あまり経たあとヴィクトルから電報が届く。“すぐ来い、道順が決まった”。

 研究室には彼と2人の女性技術者がいた。部屋のつきあたりには<危険、放射能区域>の注意書きがあった。文字の下に、三角形が三方向にひろがったようなマーク。タルボットは、父と子と聖霊を連想した。思い当たる理由もないのに。

 実験衣を着た助手の老婆ナジャがヴィクトルに機器についての報告をする。それを見たタルボットは凄まじい苦痛に見舞われていた。記憶が荒れ狂う波となって押しよせてくる。「かあさん・・・・・・?」

 彼の目はうるんでいた。泣きたい気持ちだった。最後に泣いたのは、美術館に隣接する植物園の紫陽花の茂みの中で、眠りからさめた朝のことだった。傍らには動かぬ血まみれのものがあり、爪のあいだには、肉片と泥と血がはさまっていた。彼はそれ以来、平常の意識でないときには手かせをするように決心した。

 

 実験が始まった。ヴィクトルは、たぎりたつ記憶の海を静めるため、タルボットにミルクに似た液体<忘却の川のカクテル>を飲ませる。そしてマイクロホログラム・プレートとマイクロパイオン・ビームによって彼は100分の1かそこらに縮まった。

 へそから自身の体内に侵入したタルボットは、記憶に刻みつけたディミーターの地図を頼りに宝物を目指す。中はけっこう明るかった。ロレンス・タルボットと呼ばれる世界の内部は、金色をおびた冷光にあふれていた。

 地図が指し示す道順を頼りに、ランゲルハンス島をかたちづくる島嶼の中にある、そこに向かって進む。途上には、洞窟、白骨、山脈、クレーターに浮かぶ死骸、それをたべる魚・・・・・・。

 膵臓海の岸にようやくたどりついたタルボットは、子供の頃に失くしたり捨てたたくさんの玩具をそこに見いだした。しかし、おぼえはないが、そこに欠けているものがあるという確信があった。それが重要なのだ。

 タルボットはボートの上で血のように赤い海を見わたしながら、ラジオを聞いた。番組の終わり近く、発達障害児の施設に98年間収容されていたマーサという女性が解放された、というニュースが流れた。彼は今までの人生で泣いたよりもっと泣いた。

 

 タルボットは地図が教える彼の魂の存在地点に立った。その場所は干潮時の水際と、この島の大部分を占める精神病院風の巨大な建物との間だった。彼はきめ細かな緑の砂を掘りはじめた。掘りすすむとなんの変哲も無い木箱が出てきた。中にはタルボットの魂、古い錆びたバッジがあった。それをしっかり握り締めると、丘の上の要塞をめざした。

 砦の沈鬱な闇を進むと、独房を思わせる部屋があった。扉に触れるとそれは開いた。この独房の中に誰かがいるにせよ、そのものは一度も扉を開けようとしなかったに違いない。彼はより深い闇に向かって進んだ。

 長い沈黙が続き、やがてタルボットはかがみこむと、手を貸して彼女を立ち上がらせた。それは今にも粉々に砕けそうだった。彼は彼女をだきあげ、運びだした。

 「目をとじるんだよ、マーサ、外は明るいから」

 

 タルボットは手術台から起きあがった。ヴィクトルにとって、あらゆる苦悩のあとが拭い去られたタルボットの顔を見るのは、友人同士になってからはじめてだった。タルボットはナジャと共に、体の内部に戻したあと、冷凍睡眠してくれるようにヴィクトルに頼む。説明を請う物理学者。

「俺の母、ナジャ、マーサ・ネルスン、三人とも同じなんだ」

「みんな無意味に消費された人生だ」

 

 ナジャを連れ戻ったタルボットは洞窟で彼女を休ませた。横にはマーサがいた。2人の老婆は瓜二つだった。タルボットは長いあいだバッジを握りしめ、そのまま立ちつくしていた。しばらくのち洞窟の中から、赤ん坊の泣き声が一つ聞こえてきた。彼はこれまでの人生で最もたやすい旅を始めるため洞窟にもどった。

 どこかで凶暴な悪魔の魚がとつぜんえらをとじ、腹をゆっくりと上に向けると、闇の中に沈んでいった。

「悔い改めよ、ハーレクィン!とチクタクマンはいった」

 

 これは何の話なのか?

 

「大多数の人々はこのように、人であることを二の次に、むしろ機械として・・・・・・」

                     『市民としての反抗』H・D・ソーロー

 骨子はこれにつきる。

 

 この社会では彼(ハーレクィン)ほど、くっきり目立つ個人はない。中流社会では、これは恥ずべきこととされた。聖者や罪人、英雄や悪漢を必要としているはるか下の階層では、彼はボリバル、ナポレオン、ロビンフット、キリスト等々にたとえられた。そして最上部ーーどんな小さな振動も旗竿からの転落な前兆とみなす、富と権力と肩書きを持つものたちーーからは異端者、反逆者、危険人物と考えられた。

 そんな彼は、時の権力者チクタクマンーー仮面姿の長身、寡黙で物事が時間通りに動いてる時には低い唸り声だけの男ーーに目をつけられる。

 渦中の彼は、100年も前に製造が終了してはずのゼリービーンズ15万ドル分を、空から工場の労働者に向かってばらまいていた。労働者たちは叫び、笑い、豪雨の中で列を崩した。それは全く狂気じみた、楽しい休日といえた。

 しかし、そのことで組織に7分の遅れが生じた。時の経過を司る神への信仰が推進力となっている社会では、それは大きな被害となってしまう。彼はチクタクマンの前へ出頭を命ぜられた。

 それでも彼は時間を混乱させるために精進するが、とうとうチクタクマンに捕まってしまい、そして矯正院へと送られる。

 長年にわたり『1984年』でスミスが受けた方法そっくりで叩き直された彼は、公共放送で自分が間違っていたと公言する。人々はそんな彼にがっかりした。

 ある日、チクタクマンは時間に3分遅れてきたことを、部下に恐る恐る指摘される。

「ばかな!お前の時間を調べてみろ」

 チクタクマンはそう言ってオフィスに入った。ウィーン、ウィーンと唸りをあげながら。

鞭打たれた犬たちのうめき

 

 

       

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 ベスは、ビルの中庭で一人の女がゆっくりとむごたらしく刺し殺されるのを見た。悲鳴をあげたかったが、喉は凍りついていた。そして中庭の遥か上空の、2つの巨大な目に気づく。あれは顔なのか・・・・・・圧倒的に邪悪な何者かが、下方の花壇で起こっている出来事に立ち会うためだけに召喚されていた。

 あくる日、ベスは同じビルの住人でこの惨劇を目撃したレイと懇意になる。3回目のデートで、2人は初めて喧嘩をした。その夜、彼女の裸体の上でレイは、自分を期待するべきものがない人間に育て上げたニューヨークという街を罵る。その顔には、愛するものの死を告げられた男のような表情がうかんでいた。

 レイと疎遠になったベスは仕事に打ち込む。仕事終わりに寄ったコーヒーショップで店員から理不尽な目にあわされた彼女は、今までに使ったことのない汚い言葉をつかってしまう。都市は、彼女のうちにひびく序曲に呼応したーー

 数日後、帰宅した彼女は黒人の強盗と出くわす。2人は揉み合い、バルコニーに転落する。手摺り越しにこちらを見つめるビルの人達が見える。そして上空には、あの目があった。 ベスの内に、レイの言葉が蘇る。

 『なにかの力にすがらないかぎり、この街に住み、生き残ることはできないんだ・・・・・・こんな状態で生きていけるものか、気の狂ったネズミの群れみたいに、神にみはなされた何かが生まれてこないかぎり・・・・・・ここで生きていくには、何か途方もない・・・・・・』

 レイは上空の神に「強盗を殺して下さい」とお願いする。黒人の肉体が空中に浮かび、惨殺される。そして彼女はこの街の住人になった。